診断までの道のり
こう坊の診断確定までを振り返りします。
自閉症とはうまれつきの『脳障がい』。症状は人によって様々な強弱を持っています。
■コミニケーションを取ることが難しく、社会ルールが理解しにくい
■自分の行動に強い拘りがありがち
■感覚過敏もしくは刺激を感じにくい
(音、匂い、感覚などどうしても苦手な物にストレスを感じてしまう
(逆に火傷やケガなどを負いやすいタイプも、、、
又、知的障がいも併発してるケースが少なくない=知的発達の遅れにより、日常生活が困難な状態
■学習、コミニケーション、生活自立が困難
誕生→1歳
とにかく笑顔。いつもゲラゲラ笑っちゃうタイプ。めちゃくちゃ可愛い!❤️
名前を呼ぶと、振り返りあり。ちょっと発育、発語が遅めと言う感覚はあった。
一歳を迎えるぐらいから、妻ちゃんは気づいてた。「この子はちょっと違う。不安なの」
ってなんども相談してくれた。
病院いくと待機できない、発狂して大泣き。
他の子と遊んでも誰かと遊ぶっていうか、一人の世界。
ママ友とも、どんどん離れていく距離感。みんな辛かった。
私ちゃー太は「まあまぁ大丈夫だよー、我が子を疑うのはやめよう」って繰り返し返答してたなぁ
〜2歳
発語はでんちゃ=電車、まんま=ご飯があったが見事に消えた。
今に至るまで発語はなし。いつかパパママって呼ばれたい!
身体発育は良好。小さいのにパワーが強くて身が離せないタイプ。
危険を認識しないので、火傷、挟まれ、転落、常時見守りが必要なタイプ。
ある時、大型スーパーで目を離した際に気づいたらベビーカーから抜け出して、
気づいた時には妻ちゃんと顔面蒼白。
死ぬ気で探し回って、ペットショップの犬の前でニコニコしてるのを発見。
もし外に出て行ったら、2度と会えないパターンもありえたと、今でも語り草ですね。
自宅からの脱走もありました。
1歳半検診で引っ掛かり、2歳でも同様だったら、地域の発達支援に通おう。と判断
そのタイミングで「妻ちゃん」が「ムスメ」を妊娠。
つわりがひどく、こう坊の子育ても精神的にキツく、
頻繁に土日は「妻ちゃん」が実家で休む事に。
「こう坊」と「ちゃー太」2人きりで、寝食を共に過ごした。
たくさん出掛けて、こーぼーと過ごす大変さを実感できて、
得体の知れない、不安を自分もしっかり受け止めれた。「こう坊」も私に懐いて今では財産。
〜3歳
順調に?地域の発達支援に通い、その中でもピカイチに手がかかっていた。療育支援に感謝。
施設に行く事、たどり着くだけで◎の生活を送っていました。(マジな発狂で行くことすら困難)
又、「ムスメ」の出産時には、仕事を2週間近く休んだ。
こう坊とぶっ通しで生活して、やっぱりこの子は違うんだっていい意味で理解出来てきた。
公園にいくのにも、社会的コミニケーションがとりづらいので、一つ歯車が狂うと大泣きで何もできなくなる。例えばブランコが空いてないのをみた瞬間に大泣き。
喜ばしたいのに、、、泣きじゃくる子供を無理矢理家に入れて、疲れ切った自分にゲンナリ。。
毎日がカイジの「鉄骨綱渡り」。
事実、ミスが一つも許されない感覚でしたね。(マニアックですみません)
出産後には「妻ちゃん」も無事復活。
4人家族で前を向き出した頃、3歳の誕生日前に自閉症&知的障がいの診断をもらいました。
受け入れつつあったが、結果が出るとなんだか失格を言われた感覚で辛かった
診断を受けた、帰り道
『障がい名がついただけ、こう坊の幸せな将来につながる』
不安をかき消すかのように、何度も「妻ちゃん」と確認しあったのを覚えてる。
振り返って思う事
いまでも変わらず、幸せな笑顔を見せてくれるこう坊に感謝。
当時は、診断を受けてドン底だったけど
今では必要な支援を受けるために、間違いなく必要なだったと診断だったと言い切れる。
この経験を、支援してくれる皆さんに何とか恩返ししたいなといつも思う。