実際に限界だった体験
① 冒頭
この子を育てながら仕事はできません。
妻の一言でした。
二人の出産を終えて、ひと段落したら仕事を始める予定だった妻。
しかし、長男こう坊に自閉症と知的障がいの診断が下り、状況は一変しました。
ムスメの育児と家事に加え、
何が起きるか分からないこう坊の毎日。
その生活が、妻の心を少しずつ折っていきました。
収入は、当然のように
私ひとりの「一本足打法」に切り替わりました。
② 仕事がきつくなった理由
日常は、常に不確定要素だらけでした。
急な送迎を迫られることも多く、
デイサービスから
「シートベルトがつけられないため送迎できません」
と連絡が入ることもありました。
そのたびに、急遽迎えに行く。
会社に無理を言って早退する。
妻も、
健常のムスメの幼稚園・学校行事があり、
簡単には動けません。
妻、ムスメ、こう坊。
誰が体調を崩しても、その瞬間に生活は詰む。
時間、体力、メンタル。
すべてが削られていきました。
③ 本当に限界だった状態
正直に言うと、
「この日が一番きつかった」という
はっきりしたエピソードは選べません。
どれも、常にやばかったからです。
家の中では、
排泄物をそこら中になすりつける。
靴が履けない。
服を着られない。
そもそも車に乗れない日もある。
なんとか外に出ても、
学校に着いたら歩けない。
人の車を触ってしまい、
それが原因でトラブルになる。
人に危害を加えてしまうこともありました。
こうしたことが、
「たまに起きる」のではなく、
いつ起き続けています。
だから仕事中も、
常に頭のどこかが家庭に引っ張られていました。
電話が鳴らなくても落ち着かない。
今日は最後まで働けるのか。
そればかり考えていました。
仕事に集中できない自分を責めながら働くことが、
精神的に一番きつかったです。
④ 今どうしているか
正直、今も模索中です。
明確な正解は見つかっていません。
何とか続ける方法を探しながら、
一日一日を工夫しています。
⑤ まとめ
それでも、
同じ立場の親が
「自分だけじゃない」と思えたなら。
この文章を書いた意味は、
きっとあったと思っています。
※同じ立場の親として、
制度や現実的な選択肢についても
別の記事でまとめていく予定です。
同じ立場の親として書いています
このブログは、
自閉症スペクトラムと重度知的障がいのある息子「こう坊」と
家族で生きていく中での現実を、そのまま書いています。
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